ゆーだいのブログ@身障者手帳保有

みなさんこんにちは!ゆ〜だいです!僕は弱視の大学4年生です!「障害」、「格差」、「マイノリティ」、「社会」など、様々なトピックについて発信していきます!!

障害者の健常者への歩み寄りと僕

みなさんこんにちは!ゆ〜だいです!今日はブログ第5弾ということで、「健常者と障害者の関わり方」について、私が最近思うことを書こうと思います!(^ ^)

 

1健常者が障害者に歩み寄るという考え方

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右は、車椅子に乗っている人を書いて見ました。。

絵が非常に下手なのはご了承ください。笑

 

みなさんも一度は道徳の授業などで聞いたことがあると思います。「障害者には大変さや困難さがあるので、理解してあげましょう。助けてあげましょう。」

 

あるテレビ番組でも、「健常者は障害者理解においてここがズレてる!」というように、健常者が障害者に歩み寄るというスタンスを取っている。

 

これがおそらく「障害者がより生きやすい社会」を目指すために必要なことだと、一般的に考えられていることなのかなと僕は思う。

 

しかしこれは果たして100%あっているのかな??

 

別な言い方をするならば、、

 

障害者が生きづらさを感じる社会の原因は、健常者の歩み寄りの欠如によるものなのだろうか??

 

一部ではもしかしたらこれは正しいのかもしれない。

 

しかし、原因はこれだけではないのではないかと僕は思う。

 

なぜなら、障害者自身が、自分の困難や必要とする配慮をつたえなければ、真の意味で健常者の障害者理解は進まないからである。

 

「真の意味で」といったのは、道徳の教科書やテレビなどで見る障害者は、あくまで一つの事例にすぎないからです。どんなことが大変なのか、どんな配慮が必要なのかを見たから、聞いたからと言ってそれがすべての障害者に当てはまるわけではありません。

 

僕も視覚障害弱視ですが、弱視の人の見え方は100人いれば100通りです。他の弱視の人の見え方は聞かなきゃわかりません。笑

 

つまり、教科書やテレビによってもたらされるものは、「障害者の理解」ではなく、「障害者の一事例の理解」なのです。

 

また障害者が健常者の歩み寄りを待っているだけでは問題があると僕は思います。それは、健常者と障害者の間で、「支えてあげる側」と「支えてもらう側」という構図が生まれてしまうということです。

 

健常者だけが理解してあげよう、歩み寄ろう、とすることは、その考え自体、障害者への特別扱いや偏見、さらには差別にも繋がってしまうのではないかと僕は思います。

 

2健常者と障害者がお互いに歩み寄り合う

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 ではどうしたらいいんでしょうか?

 

僕は最近次のようなことを強く思います。それは、

 

重要なことは、健常者と障害者がお互いに歩み寄り合うこと

 

つまり、健常者が障害者に歩み寄り、同時に障害者が健常者に歩み寄るということです。

 

障害者が健常者に歩み寄るっていう考え方は、あんまり僕は聞いたことがありませんが、これは非常に重要であると僕は強く思っています。

 

具体的には、双方が次のようなことをする必要があるんじゃないかなと僕は考えています。

 

<健常者>

まず、健常者が障害者に歩み寄るためには、何が大変なのか、どんな助けが必要なのかを直接聞くということです。

「聞いてはいけないんじゃないか」と考える人も少なくないように僕は思います。しかし聞かないで、自分が思う手助けをすることは、かえって障害者を木津つけたり、迷惑だたりすることもあります。

 

例えば、白杖を持って歩いている人がいるとします。その人に対して、「 目的地はどこですか?そちらまで連れて行きますよ。」と、健常者が障害者を連れて行くとします。

 

その行為は、健常者の善意に他なりません。とても素晴らしい心の持ち主だと思います。

 

しかし一方で、白杖の持ち主が、目的地までの景色を一人で楽しみたいと思っていたり、そもそも歩行の助けなしに歩けるとしたら、その善意は迷惑になってしまうこともあります。

 

あ、白状は全盲の人のためだけではないんです。僕のような弱視でも持ったほうがいいとされています。僕も東京に行くときとかは、自分に視覚障害があることを可視化するために持ったりします。

こういうことも教科書やテレビだけではわかんないですよね。だからこそ、聞いた方が早いんです!(^ ^)

 

つまり、健常者がまずすべきことは、やってあげることではなく、尋ねることなんです。尋ねた後で、手助けをするのか、しないのかを障害者に委ねるべきだと僕は思います。

 

<障害者>

次に、障害者が健常者に歩み寄るために必要なことは、自分の困難や必要な配慮を自分の口から具体的に伝えるということです。

ざっくりとした説明では不十分な時が良くあります。

例えば、僕が、「視覚障害があって、弱視なんだ」とつたえても、他の人からしたら、????って感じじゃないですか?

何が難しくて、どんな配慮が必要なのかなんて、僕が話さなければわかりっこないですよね。

 

僕も昔は周りの人に対して、察してくれよーって思っていたことが良くありました。しかしそんなわがままな、って今は思います。笑

 

だって、言われなきゃ他の人わかるわけないもん笑笑

 

だから「言わなくてもわかってよ」といった、日本人的発想ではなく、より具体的に自分の口で伝えることが、健常者にとって、そして何より自分にとって、良い環境を作れると僕は思います。

 

また、パッと見て、障害があるってわからない人、例えば僕のような弱視聴覚障害発達障害など、の人は障害を可視化する方法も一つの手段だと僕は思います。

 

僕の場合、白杖を持つことで、周囲に一発で、こいつは目が悪いんだな、と示すことができます。たまに親切すぎる人が、電車で席を譲ってくれることもあります。笑めちゃめちゃ僕にとってはただのラッキーなんですが、笑なぜなら、僕の弱視と立つことによる疲れは全く無関係なので。

 

このケースも、「視覚障害のこと私よくわかんなけど、立ってるの辛かったら譲りますよ。」といってもらった方が、お互いのとっていいんじゃないかな??

 

以上が僕が思う、健常者と障害者の関わり方です。皆さんはこれを読んでどう思ったでしょうか?よろしければコメント等で意見を聞かせてください!(^ ^)

 

ここまで長文をお読みいただき、ありがとうございました。

次の記事では、僕の人生の中で最も「障害」について考えさせられた経験について書こうと思います。今後ともよろしくお願いいたします!