ゆーだいのブログ@身障者手帳保有

みなさんこんにちは!ゆ〜だいです!僕は弱視の大学4年生です!「障害」、「格差」、「マイノリティ」、「社会」など、様々なトピックについて発信していきます!!

僕は障害者?健常者?それとも??

 去年の12月以来の投稿です。3月までは渡米の準備、主にビザ関連の手続きでバタバタしていたり、4月からのボストンでの新生活が始まったことなど、具体的に更新をするといっておきながら実行しなかった言い訳を挙げることは可能ですが・・・笑まあ改めてこれから定期的に自分のペースで更新していけたらと思っています^ ^

 

さて、ここ最近強く感じることがあります。それは

 

「自分ってなんなんだ?僕のアイデンティティって?」

 

っということです。

 

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 どういうことかといいますと、以前の記事でも何度か話していますが、私には視覚障害が1歳の頃からあります。健常者に比べると視力が低いということ、そして視野に欠損があることによって見えづらさがあります。日本では障害者手帳も取得しており、まぎれもない障害者ということになっています。

 

 しかしながら、これは誤解を招く言い方になってしまうのですが、障害者である僕にはできないこと、困ることがあまりにも少ない。別な言い方をすると、非常に多くのことが健常者のようにできてしまう、ということです。もちろんこれは私の視覚障害による困難を打ち消すほどの私の能力と努力の結果だというわけではありません。単に見え方の問題です。私は歩くことも、階段の上り下りも、ジョギングすることもできます。サッカーやバスケットボールだって、健常者のように完全に全てを見ることができるわけではありませんが、できないというわけではない。。。

 

 視覚障害者のコミュニティにいるときによく感じることなのですが、みんな僕より視力や視野の症状が良くない。つまり僕よりもはるかに「見えづらさ」を持っています。他の視覚障害者に比べて僕は非常に多くのことを「健常者のように」できるんだと思います。

 

 ちょっと前までは自分が障害者であることを自覚し、健常者にはない「障害者の視点」を僕はもっている、そこから見える社会構造の問題に立ちむかおうみたいな、すごく立派に聞こえるようなことを考えていました。今でももちろんそんなことができたらなと思っています。

 

 その一方で少しこの気持ちが揺らいでいます。それはそんな大それたこと、俺には無理だとかそういう諦めの気持ちから来ているのではありません。それは、そもそも自分が障害者の視点とやらを持っているのか?と感じるようになったからです。

 

 多くのことが健常者のようにできる障害者の俺に、他の障害者の気持ちは分かっているのか?障害者の抱える問題を理解しているのか?こんなに見えている俺は本当に障害者なんだろうか?

 

 僕の周りには非常にアクティブな障害のある人がたくさんいます。彼らは障害者の立場から、社会をよりよくしていこうとそれぞれの分野で障害者の視点で発言しています。「周りの健常者は自分を見てかわいそうだというけど、不幸かどうかを決めるのはあなたではなく私だ。」、「健常者が基準で、障害者は劣っている存在というのは間違っている、障害とは人間の自然な特徴の一部なのである。」、「障害者の社会進出はまだまだ遅れている、障害による困難さを生み出すものは障害自体ではなく社会の構造そのものである。」などなど・・この他にも、自分の経験、視点から社会を変えていくために発言している障害当事者はたくさんいます。もちろん、これは素晴らしいことです。

 

 彼らは皆、自分の過去の経験から社会の構造、障害者への偏見といった問題を理解し、それをどうにかしようとしています。でも僕はそれらの困難な場面に直面した経験があまりありません。障害を理由に差別を受けたり、同情されたり、排除されたりなんてことはこれまでありません。つまり僕は「温室育ち?」というわけです。笑

 

 そもそも僕の周りには僕を障害者として見る人はほとんどいませんでした。いろんなことが他の人のようにできたこと、見た目では障害がわからないこと、僕自身自分の障害について意図してカミングアウトしてこなかったことなど、いろいろな理由がありますが。そういったことも僕が自分自身が障害者だと実感する経験が少ないことに関係しているんだと思います。

 

 というわけで、説明が非常に長くなってしまいましたが、最近自分のアイデンティティがどこにあるのか、わからなくなってしまったのであります。笑もちろん障害があることは事実なので健常者というわけではありません。笑でも障害者なのってなると、うーん。。。と考えてしまう。

 

 僕はどちらでもない、すごく中途半端な存在なのかななんて、考えるようになりました。笑このことで深く悩んでいるとか、自分を卑下しているとかそういうわけではありません。ただこういう気持ちを抱いている障害のある人に出会ったことがないのであんまり多くはないのかな?と思い、今回はこんな記事を書いてました。

 

 僕は、キリスト教徒ではありませんが、自分の障害は神からの授かりものだと思っています。障害を授かったその瞬間から僕は大多数の人との「違い」を持ったことになります。差別化が重要だと騒がれ、それぞれが違いを生み出すために奮闘している競争社会において僕は努力なしにその違いを手にしているのです。こんなに素敵なことはありません。笑ただそれがちょっと、症状が微妙なラインというか、中途半端だというか。。笑 障害者と健常者を二分している社会の風潮の中で僕を困惑させています。。。

 

 今回の記事ではそんな人もいるんダァくらいに捉えていただければと思います。僕もこれを同行したいとかそういうことではなくて、単に今の自分の気持ちを誰かに知って欲しかっただけなので^ ^

 

ここまで長文お読みいただき、ありがとうございました!!今後も定期的に更新していけるよう頑張ります!!

 

それではー!